三宅佳奈恵さん(38)「母として、林業家として、そして一人の女性として。山の声を、私の言葉で届けたい」

森林技術者

人生を切り拓く、私のストーリー ~山を守り、山と共に生きる~

22歳の時にスポーツの専門学校を卒業し、スイミングインストラクターや介護施設での体操指導、女性向けフィットネスのコーチとして、体と心を元気にする仕事に情熱を注いできた三宅さん。

その後、結婚を機に愛知、群馬へ移り住み、群馬ではキャンプ場スタッフとして自然の中で働く喜びを体感。
ここで初めて、自分の手で木を切るという経験をし、自然との距離が一気に縮まりました。

出産を機に一度仕事を離れましたが、夫の転機で長野から岐阜へ戻ることに。
再び体操指導やデイサービスの仕事に就き、人と身体に寄り添う日々を送りました。

そんな中、自然への想いが再燃。
平成29年頃に「水土里(みどり)隊」の活動に参加し、山の手入れの大切さを知りました。
山の中での仕事に危険はつきもの。
でも、それ以上に心が躍り、山を整えることで感じる爽快感、娘の未来に美しい自然を残したいという想いが原動力となりました。

平成30年に、OKBふれあい会館(岐阜市)で開催された「農林就職フェア」で出会った森ジョブに導かれ、森ジョブの紹介で令和元年に地域おこし協力隊として白川町へ。
その地で初の林業の協力隊メンバーに。
林業は全くの未経験でしたが、持ち前の行動力でゼロからのスタートを切りました。

協力隊として3年活動した後は、個人事業主として林業の道を本格的に歩み始めました。
現在は頼れる親方とともに木を伐る日々。
重機を扱い、木材市場に出入りし、測量にも挑戦。
自然と向き合い、自分の手で山を元気にする。
その一つひとつの仕事が、生きる実感につながっています。

仕事と子育ての両立 〜母として、林業者として、そして一人の女性として〜

山に入り、チェーンソーを手に木々と向き合う日々。
その一方で、私は一人の母でもあります。
仕事に打ち込む私を、娘はいつも「かっこいい」と言ってくれます。
母としてこれ以上の励ましはありません。

今、私たち母娘は一緒に小さな山を所有し、手作業で整備しています。
休日にはふたりで山に入り、木漏れ日の中で汗を流す。
山の手入れを楽しむ私の背中を、娘はしっかりと見つめています。

娘は小学4年生。
フリースクールに通う、ちょっぴりおしゃれでアイドルが大好きな女の子。
でもその一方で、環境問題にも強い関心を持ち、自ら「環境を守るサークル」を立ち上げました。
小さな体からあふれる情熱と、まっすぐな行動力に、母として驚かされるばかりです。

自然と共に生きる” ―― それは、私たち親子にとって、日常であり、誇りでもあります。
仕事と子育て。
そのどちらかを犠牲にするのではなく、どちらも大切にしながら、未来へとつないでいきたい。
今はまだ小さな一歩かもしれませんが、親子で育てているこの山が、やがて誰かの希望になることを願っています。

林業の苦労 〜恐れを知って、だからこそ丁寧に生きる〜

林業の現場は、一歩間違えば命に関わるような危険と常に隣り合わせです。
実際、目の前で事故が起きたこともあり、その瞬間、全身が凍りつきました。
木が倒れる音、重機のうなる音の中で、いつ何が起こるか分からないという緊張感が、常に背中に張りついています。

だからこそ、私は「無理をしない」と決めています。
無理をしないのは、恐れからだけではありません。
何より、娘の存在があるから。
私には、必ず家に帰らなければならない理由があるのです。

身体のつくりが違うから、男性のようには動けない。
だけどその分、一つひとつの作業を丁寧に、慎重に積み重ねていく。
力ではなく、工夫と冷静さで乗り越える。
恐れを知るからこそ、山と真剣に向き合える —— それが、私の林業です。

林業の将来性 〜子どもたちが憧れる仕事にしたい〜

ヨーロッパの一部では、林業は子どもたちのなりたい職業のひとつとして名前が挙がります。
しかし、日本ではどうでしょう。
多くの子どもたちは、山に入ったことも、木を伐る現場を見たこともありません。

私の娘も、ある日こう言われました。
「木を切る仕事って、悪いことなんじゃない?」
その言葉に、胸が締めつけられる思いがしました。

間伐とは、健全な森をつくるための大切な仕事。
木を選んで伐ることで、残った木が太く、強く育ちます。
でも、それを知らない子どももたくさんいます。
そして、知らないまま大人になれば、放置される山はどんどん増え、森への関心も薄れていきます。

だから私は、まず知ってもらうことから始めたい。
2023年には、地元の佐見小学校で、56年生を対象にした伐採体験の森林学習ワークショップを開催しました。
そして、これからも恒例行事にしたいです。
実際に木を見て、触れて、音を聞いて。
体験を通して、山と仕事のリアルを五感で感じてほしい。
山の未来は、子どもたちの心に火を灯すところから始まると思うのです。

林業は、確かに肉体的にも厳しく、危険も多く、報酬も高くはない。
個人事業として生計を立てるのも、簡単ではありません。
それでも私はこの仕事を「続けたい」と思います。
自然と向き合い、山を守り、次の世代へバトンを渡す —— その価値は、数字では測れないのです。

山に生きる大人の姿を見せたい。
そして、林業がいつか日本の子どもたちにとっても「かっこいい!」「やってみたい!」と思われる仕事になる日を、私は本気で夢見ています。

私の林業ワークスタイル 〜自然と共に過ごす一日〜

8時、親方の家に集合し現場へ。
8時半から作業開始。
チェーンソーの音と森の香りが日常の始まりを告げます。

10時に休憩を取り、11時半からは1時間半のランチタイム。
暖かい季節はハンモックで昼寝、冬は焚火を囲んで体を温めます。

午後1時から再び作業し、14時に小休止。
15時半に作業を終え、16時には親方の家で機械のメンテナンス。
16時半に帰宅します。

体は疲れても、自然と呼吸を合わせるこの仕事には、心を満たす特別な充実感があります。

ビューティージャパンへの挑戦 〜山の声を、私の言葉で届けたい〜

2024年12月、思いがけないスカウトがきっかけで、「ビューティージャパン」という舞台への扉が開きました。
このイベントは、社会とつながり、自立した生き方を貫く女性たちを応援するためのもの。
ただの“美しさ”ではなく、“想い”と“行動”を伝える場でした。

私が参加を決めた理由は一つ ―― 山のことをもっと多くの人に知ってほしかったから。
自然の美しさや林業の現実、私が日々向き合っている山の鼓動。
それらは、インスタグラムの写真や動画だけでは伝えきれない。
だからこそ、自分の声で、自分の姿で、真正面から伝えてみたいと思ったのです。

正直、人前に立つのは得意ではありません。
私の背中を押してくれたのは、白川町の仲間たち、そして娘の存在でした。
「お母さんが挑戦してる姿を見せたい」
「山の未来を語れる大人でありたい」
その想いが、私をこの大きな舞台に立たせてくれました。

林業という異色の経歴をもって挑んだビューティージャパンは、私にとって単なるコンテストではありませんでした。
それは、自分の生き方を信じ、行動で伝えるための“挑戦”だったのです。

将来の夢 〜自然とともに、生きる歓びを紡ぐ〜

私はこれからもずっと、白川町に根を張り、この土地で生きていきたい。
60歳、70歳になっても、林業に携わり続ける自分を思い描いています。

白川町の林業仲間や水土里隊の仲間とともに森を整備しながら、自然の未来を守り育てたい。
森林学習の講師として、子どもたちに山の魅力を伝え、自分の山で遊ぶイベントを開きたい。
子どもから大人まで、多くの人に林業の楽しさと大切さを知ってもらいたいのです。

いつかは、山の中にログハウスを建てて、のんびりと自然の息吹を感じながら暮らす。
木工も好きだから、自分のペースで好きなことを楽しみながら生きていけたら最高です。

林業は、私の夢のがぎゅっと詰まった場所。
大好きな林業だからこそ、心から誇れるし、自分らしく挑戦し続けられる。
これからも、この道を歩んでいきます。

■5/27 16:00公開!三宅佳奈恵さんのインタビュー動画はこちらから視聴できます