岐阜県郡上市美並町。日本三大清流のひとつ、長良川の支流「粥川(かゆかわ)」の源流域に、215年の歴史を誇る林業経営者 有限会社 古川林業 があります。


約1,600haもの森林を有し、岐阜県内でも屈指の規模を誇る古川林業を率いるのは、第14代当主の 古川秀樹社長。代々受け継がれてきた森づくりの知恵と技術を守りながら、未来へ続く森林経営を続けています。

江戸時代から受け継ぐ「森の循環」
古川林業の歴史は、1810年(文化7年)にさかのぼります。
江戸時代、第8代当主は郡上藩主・青山公に「分収造林」という仕組みを提案しました。これは、森から将来得られる収益を藩と分け合う制度で、古川林業が6割、藩が4割を受け取るというもの。
当時としては画期的な試みであり、中部地域で初めての大規模分収造林の取り組みとなりました。
植林された森は今も「粥川神社」の裏山に残されており、2018年には「日本林業遺産」として正式に認定。200年以上前の人々の森づくりが、現代の私たちにその姿を見せ続けているのです。
神話と伝統が息づく「粥川の森」
古川林業が森を育む粥川の地には、古来より不思議な伝説が伝わっています。
その中心となるのが「星宮神社」。高賀六社の一つであり、今も神仏習合の形式を残す神社です。
この地にはかつて、頭が猿、胴体が虎、尾が蛇という怪物「魔物(鬼)」が棲みつき、村人を苦しめていました。




都から派遣された武将・藤原高光が怪物を退治したとされ、その道案内をしたのが「ウナギ」。以来、粥川の人々はウナギを食べることを避けてきたとか…。
また、高光が放った矢を納めたとされる場所は、今も「矢納ヶ淵」と呼ばれ、森と人々の記憶をつなぐ地となっています。
壮麗な森と、未来への思い
古川林業が管理する森に足を踏み入れると、手入れの行き届いたスギやヒノキが整然と立ち並び、森全体が呼吸しているように感じられます。
それは単なる「資源」ではなく、清らかな水を育み、災害を防ぎ、地域の暮らしを支える大切な存在。


杣人(そまびと:きこり)たちは「50年先、100年先を見据える」気持ちで一本一本の木を育てています。自ら植えた木を伐ることは叶わなくとも、次の世代のために森を残す。——その誇りが、古川林業の仕事を支えています。


あなたも森づくりの担い手に
林業は、自然と共に生きる仕事です。
四季の移ろいを肌で感じ、体を動かし、木を育て、森を守る。決して楽な仕事ではありませんが、都市では味わえない達成感や誇りがここにあります。


もし「自然の中で働いてみたい」「森を守る仕事に挑戦したい」と思ったなら、古川林業の森づくりに触れてみてください。
きっと、あなたの心に新しい道がひらけるはずです。

